好きを追求し続ける南の島のDJに惚れた、女性映画監督の好きなことをして生きるとは。

ニューヨークは生活費が高い都市のランキング上位に入る。東京はさらにその上位に入る。

 

「東京の生活費なんて安いわ。こんな美味しい焼き鳥が100円で食べられるなんて信じられない!」

 

そう興奮気味に話す女性は、バリでの撮影ついでに日本へ帰国していた。いまは高円寺のはずれにある、ジャズが流れる暗がりの焼鳥屋で久しぶりの日本の味に舌鼓を打っている。

「ニューヨークだったらこれ1本で1000円はするね。」

 

私はよくそんな物価でみんな生活できるなと思い聞いてみた。

 

「うーん、他の人は映画を作るお金を貯める必要がないからじゃない?」

とアメリカンジョークを飛ばしながら肉厚の焼き鳥を頬張っている。

 

彼女が言う映画とは、彼女自身が自主制作をしている映画のことだ。バリに行っていたのはそういうわけである。

 

まずは、彼女のプロフィールを簡単にご紹介しておこう。

彼女は、台湾生まれの東京育ち、ニューヨーク在住の映像クリエイター。

もともとは局アナウンサー・ディレクターをしており、その後大手広告代理店に転職しプロデューサー業務をしていた。一見バリバリのキャリアウーマンだったが、ふと美味しいコーヒーが飲みたいと言い出し、突然アメリカのポートランドへ移住。しかし、そこでは大好きなテクノが流れていないという理由で、わずか半年たらずでニューヨークへ引っ越す。現在はニューヨークでフリーの映像クリエイターとして生計を立てている。そんな破天荒な彼女のストーリーである。

25歳、イビザのレジェンドに一目惚れ。

ドキュメンタリー映画の撮影風景。右の白髪の男性がJon Sa Trinxa。

 

彼女は、スペインイビザ島で25年間同じビーチでDJをし続ける「Jon Sa Trinxa – ジョン・サ・トリンサ」を追いかけたドキュメンタリー映画を自主製作している。

 

彼女が初めてJon Sa Trinxaに出会ったのは今から7年ほど前、クラブミュージックが大好きだった彼女が、パーティーアイランドとして名高いスペインのイビザ島へ遊びに行ったときのこと。

 

”イビサにはJon Sa Trinxaという伝説のDJがいる”、そう音楽仲間から噂を聞いていた。

 

そこで、彼女は人生を変える音楽に出会った。

 

深夜のガンガンと爆音が流れる薄暗いクラブの中ではなく、サンサンと太陽が降り注ぐ真っ白いビーチの上で。

その音楽とは、クラシック、アフリカンミュージック、ヒップホップ、ジャズ、ポップス、ロックそしてテクノ、様々な音楽が自然にひとつの曲のように繋ぐDJスタイルで、『バリアリックミュージック』と呼ばれるものだ。

 

これまでの人生、テクノ一筋であったあった彼女からすると、一つのジャンルに捕らわれないこのスタイルは衝撃的だった。

 

確かに、相当な衝撃だっただろう。

なにせ、この時の衝撃で発生した稲光が彼女の映画監督としての道を照ら出したのだから。

忘れられないJon Sa Trinxaのミックス

その時英語が話せなかった彼女は、Jon Sa Trinxaに話しかけることはなかった。あの時の衝撃を忘れられない彼女は、帰国後すぐにJon Sa Trinxaのミックスをラジオやネットで探しては聴き続けた。東京にいるときも、ニューヨークに引っ越した後も。常に彼女の周りにはJon Sa Trinxaの音楽が流れていた。

 

それから5年後、彼女は英語を勉強し彼にラブレターを書いた。いかにあなたの選曲が素晴らしくて、ファンであるかということを伝えるために。

 

その後、何度もイビザへ通うようになった。

ファンから友人へ

決して上手とは言えない英語で直接、彼の音楽がいかに自分の人生を幸せにしてくれているか一生懸命、彼に伝えた。

 

この時はまだ純粋に彼のファンでしかなかった。

 

ある時、彼女はふと思った。

「一番大好きなDJと、私ができる表現方法-映像を作る-をシンプルに組み合わせたい」と。

 

早速SNSでメッセージを送った。

 

「映画、撮らせてください。」

思い立ったらすぐに行動してしまうタイプの人間だ。

 

この時から自主映画プロジェクトがスタートしたのである。

 

その後、彼がツアーでニューヨークへ来たときも会いに行った。もう2人は友人になっていた。

自主制作というやりがい

ニューヨークでの仕事風景

 

自主制作映画とは名前の通り、自己資金で制作された映画のことだ。自己資金を稼ぐために、彼女はニューヨークでの映像制作の仕事をいつも以上にこなし、バカみたいに高いニューヨークでの外食も控えて、収入のほぼ全てを映画の資金に回している。

自分がやりたい映画のためだから苦ではないという。“いま”命をかけて取り組めるこの活動が彼女のモチベーションとなっている。もちろん彼女一人だけでは映画を作ることはできない。ニューヨークで知り合った仲間とともに製作している。

クラウドファンディングでの支援者集めと、支援者との絆となるオリジナルTシャツ。

自己資金で製作といっても限界がある。撮影機材やイビザへ渡航費として、自分だけでなくメンバーの宿泊費や飲食費も必要になる。これらの費用を捻出するために、クラウドファンディングを使って資金を集めるそうだ。開始は2018年3月末をめどに、日本とアメリカのクラウドクラウドファンディングを利用するとのこと。

 

クラウドファンディングは寄付額に合わせた、様々なリターン(お返し)をすることが決まりとなっている。

日本限定のリターンとして、支援者限定のオリジナルTシャツや、オリジナルトートバックを企画している。

トートバッグには映画のキービジュアルが入る想定。

 

「まだTシャツのデザインはFIXしてないけど、表に映画のロゴが入って、裏にはスタッフやスポンサーなどのクレジットを入れるつもり。その中に、支援してくださった方々の名前を入れたいと考えている。トートバッグは映画にテーマに合わせて、12インチのレコードが入るサイズで考えているの。 音楽が好きな人にぴったりだと思う!!

支援者の方々には、一緒にこの映画を作っていると感じほしいから、製作の進捗状況をメルマガで報告していくなど関係性を大切にしていくつもり。」

 

オリジナルTシャツオリジナルトートバッグは、ただのノベルティではなく、ある種の絆や証として利用され、顔の見えない人たちとつながるための媒体とも言える。このTシャツが将来、映画・音楽マニアの間でお宝として珍重されていることを期待したい。

好きなことをして生きていく

この映画の主役であるJon Sa Trinxaは、はいくつもの災難や幸運を重ねながら、自分の「好き」追求し続け、その結果幸せが聞こえるビーチ(自分の居場所)を作っていた、そんな人物であり、映画の主題でもある。

ニューヨークでの仕事風景、元アナウンサーという経験を活かし日本向けニュース番組にも出演している。

 

彼の生き様や音楽に心を奪われた、『リリイ・リナエ』自身も好きなことだけで生きていく道を選んだ人物の一人である。彼女は好きなことをやるために、一生懸命働きニューヨークでたくましくフリーランスディレクターとして生きている。正直年収は会社員時代の半分以下になったそうだが、彼女はいま好きなことをやれている、自分の名前で仕事ができているのが、心からの幸せだという。

 

好きなことをして生きてくいことは決して楽なものではないが、どんな苦難も乗り越えられるモチベーションや、苦労を苦労と思わない強さを手に入れ、その結果充実した人生になるのだろう。

 

となりで焼き鳥を美味しそうに食べる彼女を見ていると、そう思わずにはいられない。

Jon Sa Trinxa - SOUNDCLOUD

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