
フェスはオリジナルTシャツで楽しむ時代へ。音楽ライターの提言
夏フェスのシーズンが始まりました。
歩き慣れたスニーカー、帽子、タオル、ショルダーバッグ、レインウェア、場合によっては長靴やテント、毛布まで。持ち物を準備するだけでも心はウキウキと沸き立ちますが、やはりメインとなるのは「Tシャツ」でしょう。
シンプルな一枚。その胸や背中に書かれた大切なメッセージ。さぁ夏フェスでは、どんなTシャツを着よう?
そんな音楽フェスの勝負服ならぬ「勝負Tシャツ」は、時代と共にゆっくりと変化を遂げてきています。
オフィシャルTシャツで「フェスへの思い」を表明した過去

日本を代表する老舗フェス「フジロックフェスティバル(以下、フジロック)」が始まったのは、ちょうど20年前のことでした。
前例がないことから場所探しに難航した第一回目は、初日から台風直撃、二日目が中止になるなど、本当に波乱万丈のスタートだったのです。その分、高まっていったのは、初めて日本で始まるロックフェスをここで終わらせるわけにはいかない、という参加者たちの団結力。
「フジロックに通い続け、これを日本に定着させることが我々の使命だ!」という熱い気持ちを、皆、フェスのオフィシャルTシャツを着用することでアピールしたのです。
「おっ、第一回目から通っている猛者ですね」
「そういうあなたは、この年にも来たんですね」
「えぇ。前年ももちろんここにいましたよ」
すれ違うTシャツを見るだけで交わされる無言の会話。フェスが定着した2000年代前半までは、Tシャツそれ自体に「このフェスが好き!」という思いを滲ませた音楽ファンをよく見かけたものです。
同じ頃、フジロックに拮抗する洋楽フェスとして発展したサマーソニック、日本最大級の邦楽フェスとして始まったロック・イン・ジャパンなどは、アクセスの利便性を活かして動員をどんどん伸ばしていきます。人気アーティストが多数集まるため、チケットは即日完売。後日には、オフィシャルTシャツがネットオークションで高値を記録、なんていう事態も起こり始めました。
いわば、フェスに行くことがリア充の証であり、そのTシャツを手にすることがステイタスに。これが2000年代の中盤あたりの話です。
フェスの飽和により、Tシャツで個々をアピールする時代へ

いまや全国各地で、夏に限らず開催されるようになった音楽フェス。これだけ増えてしまえばフェスそのものに思い入れを抱くのは逆に難しくなります。
相対的に出演者も同じような顔ぶれになりがちで、昨今、参加アーティストがずらりと並んだオフィシャルのTシャツを着ている人は少なくなりました。参加者たちは、これぞというバンドTシャツを選び、何が目当てかをアピールするのです。
「何を見に来たかって?当然このバンドでしょ!」
「メインステージの裏に出ているマニアックなバンドを応援しています」
「実はこのアーティスト、前身バンドの頃から好きだったよ」
さらに近年増えてきたのは、子連れで参加するファミリーたち。カップルとしてフェスに参加してきた世代が親となり、家族のレジャーとしてフェスを利用しているのです。キッズTシャツにも当然こだわりが感じられます。
「伝説のロックバンドTでキメてみました」
「親子揃ってこのバンドのファンです」
「まだベビーだけど気持ちはパンク!」
これらは、見ているだけで楽しい気分になれるTシャツたちです。
世界に一枚のオリジナルTシャツでフェスを楽しむ時代へ

しかし、だからこそ、これぞという一枚を選ぶのが大変です。また、当然ながら、フェスのお目当ては一つとは限りません。このバンドも見たい、あのバンドも見たい、あの歌も聴きたい。さらには、ここのフェス飯が一番だとか、毎年ここで友人に会えるのが何よりの喜びだとか、音楽以外の楽しみもそれぞれ秘めていることでしょう。
それならいっそ、自分でオリジナルTシャツ作ってしまうのも手です。
「このフェス、皆勤賞!」
「このフェスで育って、このフェスで出会って、結婚しました!」
どれだけ物販に並んでも買えない自分だけのフェスTシャツ。仲間たちとアイディアを出し合ってオリジナルTシャツを作る作業も、フェスの新たな楽しみ方になるかもしれません。そんな時代がやって来たのではないでしょうか。
\売れ筋のオリジナルTシャツ/
世界でたった1つ。
あなただけのオリジナルTシャツとオリジナルタオルを作ろう。

石井恵梨子
音楽ライター
1997年より音楽雑誌に投稿、ロック/パンク/ラウド系を中心に執筆活動を開始。フジロックは第一回目から参加。嵐の中で踊り続けていました。日本最大のパンクレーベルPIZZA OF DEATHでコラム連載中。■HP:http://www.pizzaofdeath.com/column/ishi/